當山は往昔より、中興開山・第8世日進上人の法務の功あって、本山より永代上人号ノ免許を与えられ、旧来は日蓮宗興門派の小本山の寺格を有していた。旧境内二段二畝二六歩、田三町八段五畝二十歩、畑一町二段十三歩、山林四畝二五歩、宅地一畝十九畝を有していたが、戦後の農地開放等により寺領の全てを解放した。

當山の由来は鎌倉時代、日蓮大聖人直弟子(六老僧)の一人、白蓮阿闍梨・日興聖人が正応3年(1290)10月に旧経塚(昭和町押原公園北)に一宇の草庵を結び、御両親の追善供養をされたのを起因とする。又、その地に五本の杉を植えられたことで、今日も「五本杉」という地名が遺る。拠って當山は、古来より「日興聖人御双親為報恩経石書写之旧蹟」とされている。その後250年程を経て、押越の清水家より日出上人が生れ出る。

日出上人並び清水一族、本山(重須本門寺)に許しを得て、五本杉の霊地に天文23年(1554)2月16日に改めて仏堂を建立し寺院とする。日出上人の本山入山の為、弟子日覚上人が入山するも、天正6年(1578)5月12日大洪水があり、堂宇の全てを流失する。天正7年(1579)2月、武田勝頼支配の奉行に願い出、現在地に移り、本山より「蓮華山正法寺」の寺号格を賜う。山号の「蓮華山」は、汚泥の中にあっても、清く美しく咲き誇る白蓮を現す。寺号の「正法寺」は、濁世を救う正しい法「妙法蓮華経」を現す。以来、重須本門寺(日蓮宗大本山)の直末として興門派に属す。

昭和16年2月の三派合同(日蓮宗・本門宗・顕本法華宗)により、本門宗から日蓮宗として再出発し今日に至る。


當山略歴

宗派 日蓮宗

宗祖   立正大師・日蓮大聖人

開基   白蓮阿闍梨・日興聖人

開山   日出上人

開闢   正応3年10月

開創   天文23年2月16日

旧蹟 「日興聖人御双親為報恩経石書写之旧蹟」


信条

我々は、久遠に実在する本仏の悟り、日蓮大聖人が体現された、法華経の教えを拠り所にして、我が身の生命の活性と、心身の安定を得。お題目の修行を通して、自分を信じて、自分に厳しく、自分に強くなり、人格の向上をめざしていく。この旨を、仏教の究極なる「成仏」ととらえ、常に本仏への信仰をささげ、先祖を貴び、自他の生命を尊厳しつつ、日々に菩薩道に精進していくものです。